The Writer〜Again

再び、また何かをはじめてみようと思った。 ぼちぼち日々のこと発信していこうと思います。  

 2024年3月21日にとうとう大滝詠一「EACH TIME 40th Anniversary Edition」が発売されたけれど、まだ購入していない。

 その10年前に「30th Anniversary Edition」が2014年3月21日に発売された。その前年の暮れに大滝さんはこの30周年のリマスタリング作業を2013年11月に終えて、その次の12月に亡くなってしまった。

 つまりは大滝さん自ら施した最後の音源であるために、40周年は買いそびれてしまった。

 EACH TIME 30th Anniversary Edition(TRACKS)
 EACH TIME 30th Anniversary Edition  2014年3月21日発売 最高位3位
(再発売でありながら3位になった)

 元々は1984年3月21日に発売されたアルバムであり、当初は9曲入りだったが、1986年には「Complete  EACH TIME」がリリースされて2曲追加されて曲順も変わり、イントロとかもよ〜く聞くと違っていたりとしているらしい。(自分は何処が違うとか、そこまでわかりませんが。)

 でもって、1991年にはCD選書で1500円というお得な価格で「EACH TIME」が再発売になったが、また9曲になってしまったり。その前に1989年にリマスター盤が早くも登場する。

 2004年にも「20周年盤」も発売されて、また曲順も変わり、追加された曲も合わせると14曲収録されている。

 とにかく「ロンバケ」同様に何度も何度もリニューアルされているが、このアルバムは作詞が全部松本隆、作曲大滝詠一であり、リニューアルされる度に「曲順」が毎回変わる。

 そして、30周年に「Final」と銘打った爆弾赤ステッカーが印刷されている。

 なのに・・・10年後に再び「40周年盤」が発売された。

 なので、ちゃんと「30周年」をもう一度、聞いて、何なら戻って「20周年」「Complete EACH TIME」、84年オリジナル盤も聞いてから、40周年盤に行こうかなと思うので、こんな事やってます。(捻くれ者な自分です。)

 大滝さん自らの手で施した「30周年盤」を曲順紹介します。

 EACH TIME 30th Anniversary Edition(TRACKS)
 では、曲目
 2枚組です。

 disc1(30周年盤) ちなみに「Complete EACH TIME」の曲順も隣に入れときます。        
 01.夏のペーパーバック (夏のペーパーバック)
 02.Bachelor Girl (Bachelor Girl)
 03.木の葉のスケッチ (魔法の瞳)
 04.魔法の瞳 (木の葉のスケッチ)
 05.銀色のジェット(恋のナックルボール)
 06.1969年のドラッグレース (銀色のジェット)
 07.ガラス壜の船の中 (1969年のドラッグレース)
 08.ペパーミント・ブルー(ガラス壜の中の船)
 09.恋のナックルボール (ペパーミント・ブルー)
 10.レイクサイドストーリー(レイクサイドストーリー)
 11.フィヨルドの少女 (フィヨルドの少女)

 disc2(30周年盤)(TRCKSカラオケです)
 01.夏のペーパーバック
 02.Bachelor Girl 
 03.木の葉のスケッチ 
 04.魔法の瞳 
 05.銀色のジェット
 06.1969年のドラッグレース 
 07.ガラス壜の船の中 
 08.ペパーミント・ブルー
 09.恋のナックルボール 
 10.レイクサイドストーリー
 11.フィヨルドの少女

 30周年盤でもまた曲順が変わりましたし、2枚目には「カラオケ音源」全曲収録されましたし、10曲目の「レイクサイドストーリー」ではやっと「大エンディングバージョン」がカラオケ音源の方で84年の初回に出て以来の登場になった。

 この「大エンディングバージョン」を初めて聞いたので、「やっと聞けた」と言う感動と「でも、もう大滝さんはいないんだ。」という寂しさが入り混じった瞬間だったのを思い出した。

 あれから10年も経過してしまった。

 結局、大滝さんは「EACH TIME」でオリジナルアルバムは最後となってしまい・・・亡くなってから、あれやこれやと何だか秘蔵音源が出ている。遺言でそうしているのか?それとも音源が見つかったから、ここぞとばかりリリースしているのかわからないけど。

 ただ、大滝さんの音源物って不思議と何回もリピートしても聞ける魔力がある。

 実は「EACH TIME 30周年盤」は聴き終えて、今は1986年の「Complete EACH TIME」を聞きながら買いている。

 聴き比べをしているわけではないけれど、やっぱり曲順が違うせいなのか1曲毎に違いがあるとい感じがする。(さっきも書いたけど、どこがって言うのはわかりません。)

 自分が初めて「大滝さん」の音源を聞いたのはおぼろげなのだが、「フィヨルドの少女」だった。

 何かのMV番組で「北欧」の景色の写真が何枚も変わるような映像だった。そのバックに「フィヨルドの少女」がかかっていた。

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 シングル「フィヨルドの少女/Bachelor Girl」
 1985年11月1日 最高位31位

 今ではCDで聞けるし「EACH TIME」にも収録されているから聞けるが、当時はナイアガラ最後のアナログシングルと呼ばれて、CDにならなかった。

 たぶん、これだと思う中学生くらいの時にテストで早く帰れて、家に着いて「チバテレビ」をつけたら、この曲がかかった。

 なんか「小林旭」の「熱き心に」っぽいなぁと思った。それから後になって、それも作曲「大滝詠一」だから妙に納得してしまった。子供ながらに。

 更に高校になってもテスト勉強する度に、FM局で「ロンバケ」から「EACH TIME」辺りはしょっちゅうかかっていた為にとうとう、購入する事になった。

 20代過ぎて、職場では転職組だったので年下であり、飲み会とかで「音楽何聞くの?」とか聞かれると「山下達郎と大滝詠一とかですかね。」(他にも多々あるけど・・・その頃にハマっていたのを言ったら)・・・・「変わっている〜〜〜〜!!!」とか「本当は30過ぎてるんだろ?」と言われてしまった。

 そんなこんなで今でも相変わらずに聞いているよ。不動にも。

 何でも今回の40周年盤の「EACH TIME VOX」には最初のジャケットアートも封入されているんだとか。

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 これのようです。

 全然違いますね。

 いずれにしても亡くなってからも、いつまでもこうやって聴き続けられている「大滝詠一」さん

 自分もずっと聞いていきたいと思います。

 これで40周年盤聞けると思います。

 


 もう一つのプライベートブログからの転載となりますが。

 

 ラジオと乾杯!二次会でもアルバム「らんど」の極私的説明をやりました。 

 

 12年ぶりなので、ほぼほぼ全曲話してしまった。。

 更に・・・

 2024年5月26日「The Masturi Session」日比谷野外音楽堂でやります。

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 早速、応募しました。当たりました。

 やっぱり、向井秀徳さんとはベクトルが似ているのか?こうやってライブの応募をすると行ける事が多いし、Number Girlの時は何回も応募に落ちるも2020年3月1日ライブは当選し、整理券番号が30番だったので前列は決まっていたのに・・・コロナで「無観客配信ライブ 異常空間Z!!」になってしまった。

 それでも2022年12月11日の解散ライブ「無常の日」にも行けたので、「透明少女」4回も観れた。

 そんなわけで「向井秀徳関連」によるライブ参加を記しておく。

 2018年8月18日「しぶやの夏祭り」で初めて「向井秀徳アコースティック&エレクトリック」
 2018年12月6日「マイナビBLITZ赤坂」ZAZEN BOYS(ここで初めてのZAZEN ライブを見る)
 2019年5月29日「新木場STUDIO COAST」ZAZEN BOYS(新曲3曲披露、ニューアルバムの期待高まる)
 2019年8月18日「日比谷野外音楽堂」NUMBER GIRL(音漏れで会場入りは出来ずに会場外で聞いていた)
 2021年5月4日「日比谷野外音楽堂」NUMBER GIRL&ZAZENBOYS(コロナで無観客配信ライブで自宅で観戦する。後にこの模様はDVDになる)
 2021年12月11日「豊洲PIT」ZAZEN BOYS(コロナで会場入りが厳重過ぎて大変だったけど、嫌々のワクチンも3回打って参加した。メンバーにプレゼントを持って行くも渡せずに持ち帰る。。)
 2022年12月11日「ぴあアリーナMM」NUMBER GIRL「無常の日」(うちの百々がこのライブ前に大病になるも奇跡的にこの時期だけ驚異の回復をして、ライブに行く事ができたものの・・・年明けて13歳で亡くなった。。)
 2023年8月6日「日比谷野外音楽堂」LEO今井 ZAZEN BOYS KIMONOS 向井秀徳アコースティック&エレクトリック(午前中にリレーマラソン大会に出場するも途中早退して、日比谷に向かう)

 と、まぁ何気にライブ行ってるわけです。

 たぶん2020年代は自分のライブ参加としてはダントツに「向井秀徳」さんがトップじゃないかな?

 結構、観てる方かな自分の中では。当たらないと思いながらも何気に当選したり、「あ、この日だったら行けるわ」となる事が多い。

 それも不思議な話である。

 運がいいと言うか・・・なんと言うか。

 その2024年5月26日のライブではアルバム「らんど」からのアップデートされたバージョンが見れるのが楽しみだなと思う。

 
  

 前回、極私的な「ミュージシャンベースボール1990〜1999」のスタメンを書きました。

 
 ここでスタメン発表してます。

 あまりにも活字が多過ぎたので「首脳陣」は書けませんでしたので分ける事にしました。

 なわけで、引き続き「シン・ミュージシャンベースボール1990〜1999首脳陣+@」と題してみたいと思います。

 それでは、masaが選抜した「ミュージシャンベースボール1990〜1999首脳陣+@」

 監督 大滝詠一
 本編でも「坂本龍一」さんと「大滝詠一」さんとW監督と言う形で発表しましたが、ここでは「大滝」さん単独です。
 何と言っても、1997年12年ぶりのシングル「幸せな結末」の最大ヒットはもちろんですが、1996年に再び過去の作品を発表し、プロモ盤でしか発表しなかった「SNOW TIME」が正式にリリースされた事や1991年にはアルバム「ロンバケ」がCD選書として1500円という格安で発売されたのも90年代である。既にリマスターという事をいち早くおこなっているところにも着目したいところである。
 更に「さくらももこ」さんに口説かれて、「うれしい予感」(渡辺満里奈さん)や「針切りじいさんのロケンロール(カバー)」(植木等さん)の楽曲も行なっている事も90年代である。
 達郎さんの「サンデーソングブック」の「新春放談」にも毎年登場するなど、自身の音源は1曲のみであるが、様々なところで活躍されていた90年代だった。
 時にはラジオの野球放送にて「ゲスト」ととして招かれた事もあり、的確な解説は周囲を驚かせたという話もある。

 ヘッドコーチ 山下達郎
 「90年代は不遇の時代だった」とは言いながらも91年「アルチザン」98年「コージー」と2枚の大ヒットアルバムに加え、ベストアルバム「トレジャーズ」がミリオンヒットや94年にはバンド「SUGAR BABE」のオリジナルマスターによる再発売するも、それもベスト5以内にチャートインし、「Sings SUGAR BABE」と題したたった4本しかやらなかったが大好評のライブも行なっている傍ら、いまだに続いているTOKYO FM「サンデーソングブック」のオールディーズ番組は90年代から始まっている。
 更に妻の「竹内まりや」さんのシングル・アルバムのプロデュース、アレンジなどなどやる事はやっている。98年にはシングル「ヘロン」が10位にチャーインするなど久々のシングルヒット、更にはずっと問題になっていた初期のベストアルバム「Greatest Hits Of Tatsuro Yamashita」も97年に再発売し、ようやくいい音と納得の行くものが出せたのも90年代だった。
 あわせてKINKI KIDSのデビューシングル「硝子の少年」の作曲したと言う功績も大きいと思う。
 更に毎年「クリスマスイブ」がチャートインすると言う現象が起きているのは現在も継続中はすごい話だ。

 1塁コーチ 佐野元春
 やはり「ナイアガラ関連」なのか。佐野さんも毎年のようにアルバム・シングルリリースしている時期であり、92年には再リリースしたシングル「約束の橋」(リテイクバージョン)が最大ヒットしている。合わせてアルバム「SWEET16」レコード大賞アルバム金賞を受賞している。自身のバンド「ハートランド」も一番成熟し、ノリに乗っているとてもいい時期に94年にバンドを解散してしまうも、次のバンド「THE HOBO KING BAND」と言う過去のキャリアのある実力者をぞろっと取り揃えたメンバーを従えてのバンドで発進したのもこの時期である。
 更にテレビ出演も多くなり、ダウンタウンの番組やとんねるずの番組ではAndy'sの「フリーダム」を書き下ろした。97年には「THE BURN」をリリースし、ブルースロックを求めて海外での録音、更には99年「STONE&EGGS」ではドラゴンアッシュとのコラボも一曲収録されている。若手を引き上げるところが敏腕のコーチであると思った。

 3塁コーチ 浜田省吾
 独自のルートで活動している「浜省」さんナイターでもサングラスをしているが、影の親分肌であると思う。何と言っても92年のメガヒット「悲しみは雪のように」を忘れてはいけないのと、コンスタントにアルバムとライブを行なっている。91年「誰がために鐘は鳴る」はじめ、バラードセレクション「EDGE OF THE KNIFE」はオリジナルを更にバージョンアップした作品になり「遠くへ」はこっちの方が好きだ。吉田拓郎さんのバックでドラムを叩いていた若い頃もあってか、「イメージの詩」をカバーしたシングルもリリースしてたりする。
 99年からはライブを長期に渡りながらもシングルをリリースしながら活動をしていたり、やはり過去の作品を再発売して、「J・BOY」に至っては「リミックス」として発売し、インストだった曲に歌をつけるなど画期的なこともおこなっている。

 投手コーチ 忌野清志郎
 怒ると一番怖いコーチかもしれないが実は一番優しいのかもしれない。何と言ってもRCサクセションは90年の「Baby A Go GO」で終わってしまうものの、その後はソロ活動やニーサンズ、更には「THE TIMERS」の復活、またまたソロ活動によるバンド「スクリーンレビュー」「リトルスクリーンレビュー」などなど、映画のサントラ「119」の音楽担当、更には役者としても90年代は活躍している。
 そんなにヒットはしなかったが、ドラマの主題歌「サラリーマン」は大好きだ。
 様々な経験豊富がコーチとして育成にはぴったりなコーチではなかろうかと思う。
 
 投手コーチ 玉置浩二
 安全地帯としては「夢の都」しか90年代はリリースしておらず、後はシングル「あの頃へ」「ひとりぼっちのエール」の2枚だけだったが、何と言っても90年代はソロ活動がメインであり、ドラマ「コーチ」の主題歌にもなった(本人もドラマに出演)「田園」やその後の「Mr. Lonely」は名曲だ。ようやく最近になって、この頃リリースした「メロディー」の再評価や、「カリント工場の上で」などなど名曲を多く作っている。
 忌野清志郎さん同様に玉置さんもドラマに出演したり「古畑任三郎」にも出演している。
 あの自然体な演技がうまいなぁと思った。何のドラマだったか忘れてしまったけど・・・1話完結のドラマで玉置さんが出演したドラマで最後に自殺してしまう壮絶なドラマがあった。。しかも「歌おうよ。歌おうよ!」と言いながら身を投げ出してしまって終わると言う壮絶なドラマがあった。。残念ながら何と言うタイトルのドラマだったか覚えていないが。。。

 やはり助っ人外人がいるのだから・・・「通訳」が必要だなと思って。

 通訳 杉山清貴
 90年代前半は海外録音をメインにしていた杉山さんだけに英語が堪能だったと言うことで「通訳」に抜擢した。杉山さんも80年代ほどのヒットはしなかったものの毎年のようにアルバムリリースはしており、90年から99年まで何も出なかったと言う年はなかったと記憶している。
 ソロになってから自身の作品を歌うことが多かったが、途中から作家陣の曲も歌うようになったり、「大橋純子」さんとのデュエット「LOVERS LUCK」などもある。
 更にはNHKの番組のMCを勤めたりと杉山さんも音楽を軸に幅広い活動をしていた時期でもあったと思うし、杉山さんの書く作品は、あの優しいボイスでありながら激しい言葉が実は90年代に書かれている事はあまり知られていないのではなかろうか?「COMING TO OASIS」や「TOO EARLY TOO DIE」などは聞いていただけると嬉しい。そんなハードでメローな曲たちである。

 通訳&カウンセラー 竹内まりや
 学生時代にホームステイをしていた事で英語はかなりの堪能である竹内まりやさん。あわせて、選手の相談役として何でも話ができそうな事を踏まえてこの役割に入れさえてもらった。
 何と言ってもベストアルバム「インプレッションズ」のメガ・・・いやギガヒットは94年であり、その後もコンスタントにシングルのリリースをしていた。
 あわせてシングル「カムフラージュ」初登場1位を98年に記録したり、広末涼子さんに楽曲提供したりとヘッドコーチ山下達郎と組んだ作品は数知れずである。「シンガーソングライター主婦」と言う新しいスタイルを築き上げた。

 ここからは「本当はスタメンに入れたかったけどベンチウォーマー」だけど、自分の中ではスタメンと入れ替えてもいい選手を紹介します。

 1.尾崎豊
 90年に2枚組「誕生」で復活する。91年にはリカットシングル「I LOVE YOU」のヒットもある。92年に26歳で亡くなってしまった事が今でも残念でならない。。その後、ラストアルバム「放熱への証」はミリオンヒット、ライブアルバム「約束の日vol.1&2」リカットシングル「OH MY LITTLE GIRL」はドラマの主題歌でミリオンヒット。ベストアルバム、非公認デモ音源アルバム、ライブベストとここまで来ると・・・金儲けに走った感じがあり、それだったら、リマスター(その後出るけど)などを先に出して欲しかった。自分もBOXアルバム「TEEN BEAT BOX」を買ってしまった。
 ただ、生存してくれていたなら・・・・続きの尾崎は聞いていたかった。。

 2.COMPLEX(吉川晃司&布袋寅泰)
 90年にシングル「1990」とアルバム1枚、そして、東京ドームのライブアルバムの1枚と合計3枚しかリリースがなかったために残念ではあるが、こんな夢のようなユニットは心を踊らせてくれたものだった。結局、たった2年で解散してしまい、お互いがソロになって、お互いがヒットする。どちらもカッコ良いがやはり、「COMPLEX」での続きが見たかった。。

 3.スガシカオ
 97年にデビューアルバム「クローバー」からずっとベスト10にチャートインし続けている。31歳でデビューすると言う、元サラリーマンと言う肩書きが当時は「俺ももしかしたら・・・シカオちゃんみたいにミュージシャンに。」なんて淡い夢を見てしまった。。
 特に初期の作品(90年代は3枚のアルバムをリリース)の中でも「Sweet」の先行シングルだった「あまい果実」はいかにもシカオちゃんらしい楽曲であり、どこか変態チックな詩の世界観にどハマりしたと思えば、「黄金の月」「ぼくたちの日々」「夕立ち」のような小説家のような文章世界と音楽がこの人にしか出せない歌が良い。
 最近はファンクを前面に出している。サウンドは「アイズレーブラザーズ」みたいな感じもある。

 4.坂本サトル
 90年代に登場したバンド「ジガーズ・サン」のボーカルだった「坂本サトル」さん。「ジガーズ・サン」はグルーヴのあるバンドの中のバンド(つまりはBAND OF BAND)であると思うが、進研ゼミのCMにて「大丈夫」がちょびっとヒットしたくらいで、バンドとしての結果がなかったのはとても残念でならないが、99年に坂本サトルさんがインディーからソロシングル「天使達の歌」を発売し、北海道を拠点とし、手売りで15000枚は路上ライブで売ったと言われる。その後、メジャーでも99年5月にリリースが決まり全国流通し、ミュージックステーションはじめテレビにも出演する。ソロでの成功をして「ジガーズ・サン」の復活を夢見るも・・・2001年に解散・・・その後、再結成は果たしたが時間がかかり過ぎた。。

 5.山崎まさよし
 あのギターテクニックは何だ?と思ったくらいだったけど、実はRCサクセションの名曲「トランジスタラジオ」でシングルを出している92年だったが、本格的にデビューをしたのは95年「月明かりに照らされて」であるが、当時は何と無く、見た目で「小洒落たフォークシンガーか?」と間違った見方をしてしまった。とんでもなかった。。まるでアコギを打楽器のように扱う演奏法は誰にも真似できない。
 言うまでもなく「one more time one more chance」「セロリ」「僕はここにいる」が有名だが、「水のない水槽」や「振り向かない」「Passage」と言ったスマッシュヒットした曲の方が自分は好きだった。ワタクシの楽曲で「Step」と言う曲があるが・・・まさよしさんの「審判の日」と言う曲がリスペクトにあたる。アルバム「SHEEP」は病院の待合で99年にいつも聞いていた。。療養中だった自分を思い出してしまうのだ。

 あぁ・・・・長いね。。この辺にしておきましょうか。。キリがないです。

 どうもありがとうございました。

 まぁ、本編(YouTube「ラジオと乾杯!」で喋る時の原稿は実はこんな感じだったりします。

 全部喋る時もあれば・・・流れを見てやめちゃって脱線してしまい、他の話をしてしまうことも・・・・今日は番組のネタバラシでもあったかもしれませんが。。

 これくらいのことはいつも書いています。(笑)

 ありがとうございました。
    

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